なぜ「葬式仏教」と呼ばれるような存在に変わったのか。すべてのはじまりは、一六三五(寛永一二)年ごろ、江戸幕府がキリシタンの弾圧のためにもうけた寺請制度である。日本人全員を近くの寺に帰属させ、寺には寺請証文(キリシタンでないことを証明する身分証書)を発行し、宗門人別帳(各人の宗旨と檀那寺を記した一戸ごとの住民基礎台帳)に捺印する権限を与える。近世の寺は、宗教施設である以上に、警察(キリシタンの摘発)と役所(檀家の管理)を兼ねた、末端権力の一部だったといってもいいだろう。僧侶が寺に定住するようになったのも(それ以前にはフリーランスの僧も多かった)、葬式に関与するようになったのも寺請制度以降のこと。仏式の葬儀の式次第はキリシタンの葬儀に学んだのだという説さえある(神前結婚式の例を思えば考えられないことではない)。が、その後、仏式の葬式は独自の発展をとげ、寺請制度が確立した一七〇〇(元禄一三)年ごろには、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され、葬式には必ず僧侶が関与しなくちゃダメとか、戒名をつけろとが、何年かごとに年忌法要をやれといったルールが設けられた(ルールを徹底させるにあたり、寺院側か「宗門檀那請合之掟」という文書を偽造したというのは有名な話である)。寺に睨まれたらおしまいだから、人々はいやでもそれに従う。寺は寺で本末制度(本寺を頂点、底辺を末寺とするヒエラルキーに縛られており、本寺におさめる上納金を調達しなければならなかった。そのため寺は、檀家の葬式と法要を行うことで経済基盤とした。
年祝いの中で八十八の祝いは、弥勒信仰との関連において、一つの特徴を示している。今では、八十八という年齢は、たしかに長寿ではあっても決して珍しいものではなくなっている。しかし戦前だと、この年齢に達するのは奇蹟に近かった。自然に八十八歳になると、人より一段上の存在になったと人々は意識したのである。人の神化の基準に八十八歳が定められていたことになる。そこには仏教的弥勒信仰がからんでいるのである。仏教上の弥勒菩薩は、キリストやマホメットとならぶ救い主の存在であり、弥勒出現の年は五六億七〇〇〇万年後と経典に記されているが、この数字は天文学的な時間であり現実感に乏しい。そこで民間信仰の世界では、弥勒仏出現についてさまざまな臆説が述べられてフォークロアとなっている。弥勒仏への信仰を濃厚に保持する宗派といえば、真言宗、法相宗、浄土真宗があり、それぞれに教義上の位置づけがなされている。しかし民間信仰の中の弥勒は、宗派性をこえた存在となっている。
社外行事として、得意先を招いて行うのが新年祝賀会です。新年祝賀会を開催する目安は1月10日前後がよいでしょう。ホテルなどで行うのが一般的です。社長をはじめとして全役員が出席し、社長による主催者あいさつなどをし得意先に1年間の愛顧を願います。部署単位で得意先を招く場合は、2〜3名程度の接待が好ましく、仕事の話はさけ、あいさつ中心の席にしましょう。先方の都合を確認して、平日の業務終了後に設定します。また、新年名刺交換会は、取引先、業界関係者などを招いて行います。1月中旬から末までに開催されることが多く、2時間程度の会が一般的です。名刺交換やあいさつで、出席者の親睦を図ることが目的です。あらかじめ出席者の人数を調べ、名刺は必ず多めに用意しましょう。また、業界や組合が主催する場合、幹事は持ち回りの場合が多く、担当会社は前年から準備しておく必要があります。